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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第3節 待ち伏せする日 [9]




 嬉しくて嬉しくて、飛び上がりたい気分。
 たかがチョコを受け取ってもらっただけだ。好きだと告白したワケでもなく、想いが通じたワケでもない。だが、昼間の校内に広まっていた話では、瑠駆真はほどんどのチョコを拒否したらしい。無理矢理に鞄やコートのポケットに押し込まれたものは除外して、正攻法で手渡ししようとした女子生徒は、ことごとく失敗したと聞く。
 という事は、という事はっ!
 緩は両手を胸に当てる。
 先輩にチョコを受け取ってもらったのは、実質私だけという事になるわ。
 そうよ、そうに違いない。
 全身を興奮が包んでゆく。
 やっぱり、先輩にとって私は特別なんだわ。他の生徒とは違うのよ。
 選ばれた女性の、優越感。
 それに、これだけ奇抜な行動を取れば、どうしたって記憶に残るわ。あれだけたくさんの女子生徒からチョコで迫られたら、大概は記憶にも残らないはずですもの。
 でも私は違う。私は先輩に認められ、チョコも受け取ってもらえた。これで、また少し、先輩に近づけた。

「僕の言葉は信じていい」

 信じます。私、絶対に先輩を信じます。
 夜空を見上げる。澄んでいて、星も綺麗だ。
 通り過ぎる車もないアスファルト。近くには小さな公園。だが緩の目の前には、猛烈な風に砂塵の舞う荒涼とした景色の中、王子の幽閉された城が(そび)え立つ。もう誰も、彼女を止める事はできない。
 必ず、必ず救い出してみせる。
 固い決意を胸に誓い、タクシーを見つけるために大通りへと足を向けた。





「お礼、か」
 瑠駆真は手渡された箱をしばらく手の中で弄び、やがてコンビニの袋の中へ放り込んだ。
 相変わらず、何を考えているのかがよくわからない。聡の話では、権力に媚を売る典型的な唐渓生らしいのだが、僕に擦り寄ってきたわけではなさそうだ。
 まぁ、感謝されるのに悪い気はしないし、恩を仇で返されるよりはマシかもしれない。もっとも、こちらとしては恩など売ったつもりはないのだが。
 暗闇に白い息を吐く。
 寒い。
 本当ならもっと早い時間に食料の買い貯めをするつもりであったが、忙しくてそんな暇もなかった。
 いや、暇が無かったのではない。与えてもらえなかったのだ。
 連日のように学校を訪ねてくるメリエム。お陰で駅舎へ顔を出す日が減った。
 自分の知らない間に、美鶴と聡の距離が縮まっていたりはしないだろうか? 霞流の事が好きだとは言うが、聡だって諦めてはいない。ヤツは強引だ。涼木や蔦のいない時に卑劣な手を出したりはしていないだろうか?
 数ヶ月前の光景が目の前に蘇る。ソファーの上で、美鶴に圧し掛かる長身の体躯。
 悪夢だ。嘘だと思いたい。
 拳を握る。
 奴は信用できない。
 そう思うのならメリエムなど無視して駅舎へ向かえばよいのだが、経済的援助の件を持ち出されると、瑠駆真は逆らえない。
「ミツルの部屋も、こちらが用意したようなものよね」
 意味あり気に口元を緩める。それは、嫌味や当てつけというよりは、むしろ悔しがる瑠駆真を見て楽しんでいる様子。
 悪趣味めっ!
 心内で毒づく。
 あんなヤツの話なんて、誰が聞いてやるもんか。何度説得しに来たって無駄だ。絶対に承諾はしない。
 改めて決心を固めるその耳に、低いバイブ音。上着のポケットが震える。
 またメリエムか? こんな夜中にメールだなんて、マナーもヘッタクレも無いな。
 うんざりと、それでも仕方なく携帯を取り出す。受信メールを確認する。
 ?
 思わず足を止めた。
 メリエムからのメールなら、自動的に専用フォルダへ振り分けられるはずだ。だが、受信したメールは、どのフォルダにも振り分けられていない。
 迷惑メールか?
 不審に思いながら、注意深く表題をチェックする。
【やっぽー 詩織ちゃんでーす】
 シオリちゃん?
 見覚えのない名前に、やはり迷惑メールかと削除ボタンを押そうとした。
 シオリ? 詩織?
 瑠駆真は、削除を思いとどまった。
 詩織。
 その名前の人物を、瑠駆真は一人だけ知っている。
 美鶴のお母さん?
 まさか。だって、彼女が僕のメアドを知っているワケがない。
 だが瑠駆真は、迷惑メールであるかもしれないというリスクを犯してでも確認してみたいという衝動に、勝てなかった。





 別に、構わないよね。
 廊下を歩きながら美鶴はぼんやりと思う。
 別に、霞流さんがどういう人かなんて、そんな事がツバサにバレたからって、別にどうって事はない。ツバサはきっと、そんなに軽々しく霞流さんの事を口にしたりはしないだろうし、私の性格だってきっとわかっている、だろうし。
 じゃあ、ツバサじゃない人には?
 さきほど、休み時間になるのを待つようにして廊下に呼び出された。一組の蔦康煕だった。
「昨日は、まっすぐ家に帰ったんだろうな?」
 辺りを気にしながら囁くように聞く。
 ユンミたちが扉の向こうへ消えた後、三人は逃げるように繁華街から出た。コウはツバサを送って行くと言い、美鶴一人では心配だと言うツバサを引きずるようにして二人で帰った。
「お陰サマでね」
 一人っきりで帰らされた事に嫌味を言うつもりはない。コウとしてはツバサの身を第一に考えるのは当然の事だ。
「あんな時間に一人で帰らせて悪かったよ」
「気持ちの悪い事を言うな」
「気持ち悪いって、お前なぁ」
 荒げたくなる声をグッと押し留める。言い争うつもりで呼び出したワケではない。
「で? 何の用? 私、次は理科室に移動なんだけど」
「時間は取らせねぇよ」
 前置きをし、再び声を小さくする。
「ツバサがさ、なんであんなに兄ちゃんに会いたがってるのか、お前知ってるか?」
 美鶴は目を丸くした。
「は?」







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